2011年2月26日土曜日

食-私が考えなければならないこと

日経ビジネスオンラインに
「20億人が飢え、10億人が過食」という記事が掲載されました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110221/218541/?P=1&rt=nocnt
一昨日、イタリアのパスタメーカーの方の通訳をした際に「小麦価格の上昇」、数週間前には「スパイスの価格高騰」という話があり、とてもタイムリーだったので即、記事を読みました。

十分な食料が得られずに餓死をしていく人々、食料価格の高騰による社会政情不安で引き起こされる暴動や戦争、その一方で、生産されている食料の3割が捨てられている。同じ地球の上で起こっていることです。
記事にあるように、農業効率を上げて生産高を確保することも必要ですが、それによって生じる環境破壊や水不足というリスクの大きさも見逃すことはできません。また、インフラ整備や経済支援が現地の人々の搾取に繋がらないのかということも懸念されます。

この記事を読みながら、フードアナリストのテキスト書かれていたことを思い出していました。

「日本は食料自給率40%、年間フードマイレージ(重さ×輸送距離で算出、食品の輸入にあてはめている)5002億トン(アメリカや韓国の3倍以上)でありながら、年間2000万トンの食料を廃棄して
いる」
こんな生活をしている日本人である私は無意識のうちに、ほかの国や地域の人々の命を奪う一端を担ってしまっているのでは、ということに衝撃を受けました。
記事をFacebookのリンクに貼ったところ、友人から「長くなってしまっ“コメント”に入らないので“メッセージ”に送ります」とメッセージが届きました。ぜひみなさんに読んでいただきたいと思い、
了解を得てこちらへ掲載させていただきます。

>何年か前に有楽町のパスタ専門店に入った。

>そこは客を待たせないために、昼どきは常時パスタを十人分ぐらいゆでていた。
>当然注文が入らなければ、パスタがのびてしまい棄てることになる。
>そしてそれを堂々と店内にさも誇らしげに書いていた。
>「早くつぶれろ」「もう二度と来ない」
>そんな言葉が頭の中でグルグルと廻って味も何も分からなかった。
>もう店の名前も忘れてしまったけれど、その時のことを思い出してしまった。

>「農業で革新を起こさなければ」その通りだけれど、
>農業のせいで「土」が減ってきている。
>地下水の汲み上げ、灌漑用水路を作るために人工的に水の流を変えてしまう。
>農地を広げるために森を伐採しての砂漠化。
>人工肥料や農薬のために葉を土に変える微生物の死滅。
>人間の営みを考えるのも大事だけれど、
>「土」が無くなってしまったらなんにもならない。

>自分が農業をするわけでもないし、魚を捕るわけでも家畜を育てているのでもない。
>幸福なことに、物質的に最も豊かな国に生まれて本当に飢えたことなど一度もない。
>そんな自分ができることは、
>料理をしてくれる人、料理の材料を育てたり、作ってくれた人達のことを忘れず
>せめて出された料理は残さず食べること。


日本に住んでいる私は、明らかに「10億人の過食」の一人です。
食に関わる仕事をしている、いいえ、「食べる」という行為を毎日行っている存在であるからこそ、今、自分に何ができるのか、何をしなければならないのか、真摯に向き合うべき問題であると心に刻みました。


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