2009年4月11日土曜日

Pasqua



















明日4月12日は、Pasqua(Easter復活祭)。
イタリアでは、Natale(Christmas降誕祭)以上に大切な行事です。
町はPasquaを象徴する色、黄色に染まり、卵やウサギのモチーフで溢れます。
学校も前後2週間ほどの休暇、職場も日曜日をはさんで数日間はお休み。
春の訪れと重なり、家族や親戚と過ごす幸せな時間です。

そんな嬉しい季節に、悲しく辛いできごとが起こりました。

6日朝Trevisoの友人宅、「Abruzzoで地震が起きた」とテレビを見ているRaffaの声。
朝のコーヒーを用意しているCristinaと一緒にキッチンにいた私は、リビングのテレビの前へ。
「え?Abruzzoのどこ?」。ニュースは、6日未明に州都L'Aquilaで地震発生と伝えている。
2日前まで私は、L'Aquilaの東80Kmほどのアドリア海沿いの町Pescaraに滞在、
友人NicolaはPescara在住、彼の家族はもう少しL'Aquilaに近いChietiに住んでいる。
状況がよく判らないけれど、心配なので携帯電話でメッセージを送信。
ニュースによれば、50名ほどの方が亡くなられた模様で、
LazioやUmbriaといった隣接している州でも揺れがあり電車の遅れなどの影響が出ているらしい。
6日午前は、地震のニュースがずっと流れているということもなく、
午後には、「地震は大きかったけれど、大丈夫」というNicolaからの返事にホッ。

でも、時間を追うごとに被害の大きさが判明してきたようで・・・。
(阪神大震災のときのニュースも同じような状況でしたよね)
その後にNicolaから届いたメールでは、
「大きな余震もあって、たくさんの人が亡くなる惨事だ。早く、回復してほしい」とあり、
結果として300名近い方が亡くなる大きな被害となりました。
嬉しいはずのこの季節に・・・心が痛みます。

中部イタリアでは、時々大きな地震が発生しています。
1997年9月に起きたUmbria州Assisiで起きた地震では、
キリスト教徒の巡礼地のひとつSan Francesco大聖堂をはじめ町中が大きな被害を受けました。
Assisiは、イタリアが私にとって《特別な国》になる前からの「憧れの町」。
地震が起きる以前の94年、96年2回のイタリア滞在で訪れなかったことを後悔していました。

私がAssisiを初めて訪れたのは9年前のこの季節、
2000年Giubileo(大聖年)という記念の年のPasqua(復活祭)目前でした。
地震発生から2年半、大聖堂の修復は進んでいると聞いてるけど。
少し遅めの昼食をとった大聖堂へ続く坂道のBarのSignra(奥さん)に
「大聖堂の修復は終わったんですか?」と訊いてみる。
「完全ではないけれど、GiubileoのPasquaには間に合ったわね」
「以前と変わってしまいました?」
「フレスコ画が完全ではないけれど、ほとんど前のとおりよ」
SignoraにGrazieと言いBarを後にしました。

坂をのぼった先に堂々と佇む大聖堂。
大きさと神聖さに圧倒されつつも、
憧れの場所に自分が立っていることに胸が熱くなった感覚は、今でもよみがえります。
2層からなる内部とフレスコ画を堪能した後、町の中心へ。
Assisiの町は《2年半後のGiubileo Pasquaを目指して、大聖堂修復を第一》だったことが、
所々に地震の後の残る町から窺えるようでした。

Pasquaはイエス・キリストの復活を祝うお祭り、
Assisiの人たちは、その時に自分たちの町の復活を重ねていたのかもしれません。

今年のPasquaは、L'Aquilaの町にとって悲しみの季節になってしまい、
これから先、この季節が来るたびにこの出来事は思い出されるのでしょう。
でも、心から「復活」を喜べる日が、再びL'Aquilaにやって来ることを祈っています。

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