行ってまいりました、話題の「阿修羅展」。
日焼けをものともせず、90分並びましたよ。
「90分」って並ぶ時間としては、短い方のようです。
中に入ってからも人ヒトひと…
中金堂の鎮壇具は、あまりの人の多さにほとんど観られず、
頭と肩越しから「とりあえず観た」という感じ。
そして、「十大弟子」と「八部衆」の展示場へ。
それぞれが特徴的な穏やかさの「十大弟子」と
少年たちのような「八部衆」。
じっと見つめていると「動いた?」と錯覚するくらい「人間」な感じで、繊細なのである。
そんなこんなで、メインの「国宝・阿修羅像」。
中学の修学旅行の時、「興福寺」で観たはず…なのだけど、
あまりにも遠い記憶過ぎて、その時の印象は思い出せない。
ラッシュアワー並みの混雑に囲まれた少年阿修羅は何を思う?
それが、第一印象。
「近くでゆっくり」なんて無理そうなので
スロープの上からじっくり観ることに、斜め右、斜め左。
そして意を決して、混雑の中へ。
華奢な体に、三つの美少年顔を観れば観るほど、
不思議な感覚が体と頭に満ちてくる。
「阿修羅は、インドの最高神に戦いを挑んだ戦闘的な神なのに、
この阿修羅はそんな様子ないなぁ。」
「これを造った仏師は、この阿修羅にどんな思いを込めたの?」
「三つのお顔は私に何を問いかけるの?」
人の多さに答えを考えられる余裕はなく、
「興福寺に戻られたら、またお訪ねしますね。」
そんなことを思いながら、次の展示場へ。
ついさっき観ていた柔らかさから一転、こちらは「力強さ」に溢れている。
「四天王」も「菩薩」もがっしり大きい。
奈良時代と鎌倉時代。
「造られた時代によってこうも違うのか」とつくづく思う。
仏師も人間、時代の空気や世相とは無縁ではないということなのでしょうね。
今、もし私が仏像を造ったら、どんなものになるのかなぁ。
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