2009年4月29日水曜日

勉強会







ゴールデンウィークが始まりましたね~。
16連休や12連休の人もいるとか・・・
でも「やむにやまれず連休」というケースも多いようで、手放しでは喜べないのも現実みたい。
むしろ「ゴールデンウィーク中だからお仕事」の人もいますよね。

そんな《超大型連休》開始早々の日曜日は快晴。
2、3ヶ月に一度、美術館やコンサートへ行ったりしている「勉強会」の春企画で、
【武蔵野サイクリング】を楽しんでまいりました。

この「勉強会」は、2年半ほど前から参加させていただいている人生の先輩方の会。
若輩者の私は、「好奇心・探究心の栄養」を吸収し、
「素敵な人生の重ね方」を教えていただいています。

中央線武蔵小金井駅で待合わせ、お昼を食べて、さぁサイクリングに出発!!
国分寺崖線から野川にかけて広がる「はけの森」にある美術館で、
昭和前期に活躍した画家・中村研一の作品を鑑賞。
「はけの道」を通り、野川沿いに広がる「武蔵野公園」へ。
満開のつつじと少し早めの花水木の川沿い道を抜けると
国際基督教大学(ICU)のもとゴルフ場だったという「野川公園」です。

青い空と心地よい風の中、緑たっぷりの空気を胸いっぱい。
何年ぶりかの「サイクリング」は、少し慌しかった帰国後の日々をリセットしてくれたみたい。
実は、昨秋のこの「勉強会」のテーマが先月のLondon滞在の「目的のひとつ」でした。
そのときのテーマは、19世紀イングランドの画家John Everett Millaisの美術展。
彼の代表作は、ヴィクトリア朝の最高傑作といわれ、夏目漱石の「草枕」にも書かれている
「オフィーリアOphelia」。
たくさんの人の越しに観たその作品を「堪能する」などという余裕はなく、
「来年、イギリスでもう一度」と心に決めていたのです。

そして3月、Tate Britainで再会した作品は、東京で観たときとは違う印象。
展示室で、静かに真正面で向き合ったその作品からは「水の音」が聞こえてくるようです。
「死」によって心の苦しさから開放された穏やかな表情に心が揺さぶられたのは、
Opheliaの心と私の心が触れ合ったからでしょうか。

その他のMillais作品や他のイギリス人画家の作品もゆっくりと鑑賞し、
最後にもう一度、川に沈み行くOpheliaにお別れを言って美術館を後にしました。
「絵画って、観る状況でこんなにも印象が違うものなんだなぁ。」と新しい発見。
これだけでLondon滞在の価値はあったと思える時間でした。

2009年4月22日水曜日

Blood type & Zodiac


帰国して2週間、ようやく東京のペースに戻りつつあるかなぁ。
とは言っても、ラッシュアワーの通勤電車とかがあるわけではないので、
以前と比べて、かなり「のんびりな毎日」を送っております。

ほとんど家にいるので、「夕方のニュース」とか「ゴールデンタイムの番組」なんかを見られるのね。
一昨日は、韓国映画「B型の彼氏」を見ました。
「ジコチュウなB型の彼氏に振り回される気弱なA型の女の子」のラブコメディ、
数年前の韓国ブームのときの映画で日本でもヒットしたよね。
韓国では、B型男性がかなり肩身の狭い思いをしたとか。
日本でも「B型です」と言うと、「えっ、そうなの」という《引き気味リアクション》になるしね。

私の周りにいるB型の人を思い浮かべると・・・やっぱり「かなりマイペース」かも。
行動や言動は《自分の基準》に基づいてて、周りに左右されることは少ないみたい。
だから「理解不能」な時があるし、結果的に「振り回される」ことになっているような・・・
別の見方をすれば、次が読めないから飽きないってこと。
それはそれで、エキサイティングで楽しい、ですよね?!
/あー、フォローになってない/

以前England在住Tamakiさんとも話したのだけど、
この「血液型で性格判断」というのは、日本と韓国独特のものみたい。
(韓国は日本からの影響かな?)
「こっちの人たちは自分の血液型すら知らない人のほうが多いんじゃない」というほどなのです。

ヨーロッパで性格や運勢を大別するのは断然、「星座zodiac/zodiaco」

イタリアでもよく "che segno ?(何座?)"と話題になるし、Rebeccaにも訊かれたなぁ。
イギリスでもイタリアでも朝のテレビ番組に『星座別今日の運勢』コーナーがある。
雑誌にも『星占い』は載ってるし、
この間やったクロスワード・パズルのテーマもZodiacだった。


そういえば、授業でも「占いを信じる?」というのがテーマで、『星占い』の話題が出たことがある。
クラスみんなで話題にできたのだから、「星座」は世界共通なのよね。
ほぼ全員が「良いことは信じて、悪いことは気をつける程度で気にしない」って言ってたけど、
「つい見ちゃう」とも。みんな同じ、ね。

あの時、血液型のこと話題にしたら、どんな話になったかなぁ。
英語力不足が悔やまれる・・・

ちなみに私は、「控えめで几帳面なA型」「ロマンティストのうお座」です。
全然見えないって?


付録①占星術の起源は古代バビロニア
付録②「キリスト降誕」のお話に出てくる《東方の三博士》というのは《占星術師》という説もある
付録③いわゆる〔セレブ〕が「占星術」に頼ったなんていうお話は古今東西たくさん

2009年4月14日火曜日

Osloではこんなことしてました




連日6月並みの気温の日が続いていた東京、昨夜は10日ぶりの雨。
これで乾燥も少しは和らぐかなぁ、と思っていたら
今朝は快晴、しかも気温も高いのね・・・

今となっては夢のようだけれど、20日前、私は大雪のOsloにいました。
その前後のLondon、Trevisoも寒くてコートも手放せず、「ヨーロッパの春まだ遠し」。
改めて地図を見ると、東京はヨーロッパの南端と同じくらいの緯度なのね。
あら、Trevisoが札幌と同じくらいの北緯。
だとすると・・・Osloなんて、すごい北にある。
昨日の気温3.6℃、春はまだまだ先ですねー。

そーいえば、Osloのこと、「雪が降ってます」ということしか書いてなかったけど、
実質4日半も滞在してたのです。

Julianaは、私の興味やセンスが自分と近いのを知っているので、
私のOslo観光は「Julianaのお気に入り」がメインとなりました。

《オリンピック・ジャンプ競技会場だったHolmenkollen》
 Park Hotel Ricaからは、フィヨルドの港と町が一望
《Frognerparkenフログネル公園》
 別名Vigelandsparken、Norwayを代表する彫刻家Vigelandの作品はここでしか見られない
《Norsk Folkemuseumノルウェー民族博物館》
 屋外型博物館、ノルウェー中から移築された各年代の建物が並ぶ
《Bogstadveien通り》
 ブティックやカフェが並ぶ、シックでハイソな通り
《Bygdoy》
 Oslo西部の高級住宅街。ため息が出るほど大きい家が続く
《Karl JohansgateとAker Drydde》
 Oslo一番の繁華街とショッピングエリア

初日2日目は自動車で移動をして、少し市内のはずれまで連れて行ってくれました。
3日目は、大雪のためTrikkenという路面電車を利用。
料金が高いのが気になるけれど(全体的に物価は東京並みあるいはそれ以上)、
公共交通に乗るのは、楽しい!!
英語が通じるのと、「この人は、一人で町を歩いても大丈夫」というJulianaの判断で
一人でブラブラとお散歩なんかもしてました。

民族博物館は本当に楽しかった。
丸々1日を過ごせる広さの敷地を雪の足元に気を取られながらも、
どのくらいの写真を撮ったのかわからない。

でも一番印象的だったのは、Vigelandsparkenの彫刻。
人の喜怒哀楽やコミュニケーションを表現している作品には
心揺さぶられるものがありました。

Julianaは「今度は夏に来てね。夏の方がぜったいに良いから」と言っていたし、
緑が溢れて爽やかな風の吹くOsloの町なんて心魅かれますよね。
でも、3月下旬にあの寒さと大雪なんていうのは【北欧ならでは】で、
それはそれで良かったなぁと思うのです。

2009年4月11日土曜日

Pasqua



















明日4月12日は、Pasqua(Easter復活祭)。
イタリアでは、Natale(Christmas降誕祭)以上に大切な行事です。
町はPasquaを象徴する色、黄色に染まり、卵やウサギのモチーフで溢れます。
学校も前後2週間ほどの休暇、職場も日曜日をはさんで数日間はお休み。
春の訪れと重なり、家族や親戚と過ごす幸せな時間です。

そんな嬉しい季節に、悲しく辛いできごとが起こりました。

6日朝Trevisoの友人宅、「Abruzzoで地震が起きた」とテレビを見ているRaffaの声。
朝のコーヒーを用意しているCristinaと一緒にキッチンにいた私は、リビングのテレビの前へ。
「え?Abruzzoのどこ?」。ニュースは、6日未明に州都L'Aquilaで地震発生と伝えている。
2日前まで私は、L'Aquilaの東80Kmほどのアドリア海沿いの町Pescaraに滞在、
友人NicolaはPescara在住、彼の家族はもう少しL'Aquilaに近いChietiに住んでいる。
状況がよく判らないけれど、心配なので携帯電話でメッセージを送信。
ニュースによれば、50名ほどの方が亡くなられた模様で、
LazioやUmbriaといった隣接している州でも揺れがあり電車の遅れなどの影響が出ているらしい。
6日午前は、地震のニュースがずっと流れているということもなく、
午後には、「地震は大きかったけれど、大丈夫」というNicolaからの返事にホッ。

でも、時間を追うごとに被害の大きさが判明してきたようで・・・。
(阪神大震災のときのニュースも同じような状況でしたよね)
その後にNicolaから届いたメールでは、
「大きな余震もあって、たくさんの人が亡くなる惨事だ。早く、回復してほしい」とあり、
結果として300名近い方が亡くなる大きな被害となりました。
嬉しいはずのこの季節に・・・心が痛みます。

中部イタリアでは、時々大きな地震が発生しています。
1997年9月に起きたUmbria州Assisiで起きた地震では、
キリスト教徒の巡礼地のひとつSan Francesco大聖堂をはじめ町中が大きな被害を受けました。
Assisiは、イタリアが私にとって《特別な国》になる前からの「憧れの町」。
地震が起きる以前の94年、96年2回のイタリア滞在で訪れなかったことを後悔していました。

私がAssisiを初めて訪れたのは9年前のこの季節、
2000年Giubileo(大聖年)という記念の年のPasqua(復活祭)目前でした。
地震発生から2年半、大聖堂の修復は進んでいると聞いてるけど。
少し遅めの昼食をとった大聖堂へ続く坂道のBarのSignra(奥さん)に
「大聖堂の修復は終わったんですか?」と訊いてみる。
「完全ではないけれど、GiubileoのPasquaには間に合ったわね」
「以前と変わってしまいました?」
「フレスコ画が完全ではないけれど、ほとんど前のとおりよ」
SignoraにGrazieと言いBarを後にしました。

坂をのぼった先に堂々と佇む大聖堂。
大きさと神聖さに圧倒されつつも、
憧れの場所に自分が立っていることに胸が熱くなった感覚は、今でもよみがえります。
2層からなる内部とフレスコ画を堪能した後、町の中心へ。
Assisiの町は《2年半後のGiubileo Pasquaを目指して、大聖堂修復を第一》だったことが、
所々に地震の後の残る町から窺えるようでした。

Pasquaはイエス・キリストの復活を祝うお祭り、
Assisiの人たちは、その時に自分たちの町の復活を重ねていたのかもしれません。

今年のPasquaは、L'Aquilaの町にとって悲しみの季節になってしまい、
これから先、この季節が来るたびにこの出来事は思い出されるのでしょう。
でも、心から「復活」を喜べる日が、再びL'Aquilaにやって来ることを祈っています。

2009年4月9日木曜日

Ciao Italia !!


「イタリア・アブルッツォで地震」というニュースに、みなさんからメッセージをいただいていたのに
ご連絡できずに申し訳ありません。元気にしております。
先週Pescaraに3泊滞在、週末にTrevisoへ戻ってからはインターネットがつながらない状態で、
ようやくのブログ更新となりました。


Abruzzoの州都L'Aquilaで起きた地震はそれなりに大きかったようですが、
終日地震についてのニュースが流れているという様子でもなく、
イタリア国内は比較的落ち着いていたように思えます。

さて、Pescaraから我が愛しのTrevisoへ帰り数日、
晴れたり雨が降ったりの不安定なお天気は、遅れ気味の春をようやく運んできてくれそうです。
"La finta giapponese(にせもの日本人)"などと言われ、
どっぷりイタリアンな時間を過ごしたのも束の間、帰国の日となりました。

「Trevisoを離れるときは具合が悪くなる」というのを良く知っている友人たち。
私が一人でいると気分が落ち込むのを察して、
帰国前日はトイレ以外で一人になることなく過ごしました。
"Quando torni ?(いつ帰って来る?)" "Ritorna presto(早く帰って来いよ)"
"Ci vediamo presto(早く会おうね)" "Ti aspettiamo(待ってるからね)"
との後ろ髪引かれる言葉に見送られ、Venezia San Marco空港へ。
クルマの窓から、涙で滲んだTrevisoの風景に「またね」とご挨拶。

そして・・・東京へ帰ってまいりました!!
見事な桜に間に合い、花粉の洗礼を受け、早速に「帰国」を実感してます。

が、
今回のイギリス、ノルウェーそしてイタリアで過ごした「贅沢な時間」について
まだまだ、お伝えしたいことが残っています。
お時間があれば、もうしばらくお付き合いくださいまし。


2009年4月3日金曜日

北から南へ




雪のOsloを発って、70日ぶりのItalia。
「ダウンコート着てて良かった」と思うほどの冷たい雨・・・
San Marco空港まで迎えに来てくれたTizianoにどれだけ感謝したことか。
「しばらくこの雨は続くらしいよ」と言われ、ちょっと悲しい。

それでも、TrevisoではCambridgeにいた時と一転、
caffe caffe prosecco vino caffe それから美味しいイタリア料理でお腹がいっぱい。
おまけにRaffaやCristinaと喋り続け、結局お天気なんて関係ないのよね。
月曜日なんて、夕食前のaperitivo(食前酒)とか言いながら、7時からBarをはしご。
新しい友人が4人増え、いろんな水分でお腹がタプタプ、
お夕食のテーブルについたのは9時を回ってた、という具合。
なんだかイタリアを満喫してます。

でも、やっぱり「恋しいItariaの青い空」。

と言うわけで、Veneziaからアドリア海沿いを電車に揺られ南へ7時間。
ここは、ワインMonte Pulluciano d'AbruzzoやパスタDe Ceccoで日本でも有名なAbruzzo。
そのAbruzzoのアドリア海に面した大都市Pescaraまでやってまいりました。
Trevisoよりずいぶん南だし、もう春よね~と思っていたのに・・・寒い!
しかも夕方になってからは雨が降り出して・・・あぁ、かなりブルー。
「この数日、ずっとこんなお天気なんだよね」と友人Nicola。
翌朝もなんだか空模様がはっきりしないなぁと思っていたら、
ランチの頃にはあの「憧れの青い空」が広がってる!
ここPescaraは海の町。
海沿いに並ぶレストランやカフェは夏まで閉まっている所が多いし、
風はまだ冷たいけれど、久しぶりにサングラスが必要なお天気。
海辺のリゾートの雰囲気が漂うメインストリートを抜けて、砂浜へお散歩。
ホテルに戻って鏡を見たら、心なしか鼻が赤くなっているような・・・
やばっ、イタリアの太陽に浮かれて紫外線対策してなかったよ。